復元天守のある城-日本の城(地図)

日本の城の地図(緯度経度)を掲載しています。

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城に関してはこの一冊を備えていると安心できます。知識から鑑賞まで、城郭が身近かに、親しみを持って迫ってきます。豊富な写真とイラストによる解説。


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城名 現在の状態 築城主 緯度経度
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復元天守のある城



松前城(北海道松前町)41.429888,140.10811
福山城 松前崇広

松前氏

1949年焼失
復元天守閣(1959年)コンクリート
日本における最後の旧式城郭である。戊辰戦争の最末期に蝦夷が島(北海道)の独立を目指す旧幕府の軍(元新選組の土方歳三が率いていた)と攻防を繰り広げ、落城させられたことでも有名である。旧城内一帯が国指定史跡、また、築城時から現存する本丸御門が国の重要文化財に指定されている。



会津若松城(福島県会津若松市)37.487489,139.93017
鶴ヶ城、会津若松城、黒川城 蘆名直盛

蘆名氏、伊達氏、蒲生氏
上杉氏、加藤氏、松平(保科)氏

廃城令により解体
復元天守閣(1965年)コンクリート
若松城は旧市街地の南端に位置し、郭内(武家屋敷)と町屋敷が外濠で隔てられ、さらに郭内の内側に内濠を有する梯郭式の平山城である。城跡は都市公園鶴ヶ城公園となっており、そのほとんどが国史跡に指定されている。史跡外の三ノ丸跡には陸上競技場、市営プール及び福島県立博物館がある。また、再建された天守は若松城天守閣郷土博物館となっている。



白河小峰城(福島県白河市)37.13273,140.21376
白河城、小峰城 結城親朝

結城氏、蒲生氏、丹羽氏
松平氏、阿部氏

戊辰戦争で消失
復元天守閣(1991年)木造
白河小峰城は、南北朝時代の1340年(興国元年)に、結城親朝が小峰ヶ岡に城を構えて小峰城と名づけたのが始まりとされる。 1590年(天正18年)に、城主の白河結城氏が豊臣秀吉の奥州仕置により改易されると、その後、この地は会津領となり、蒲生氏、続いて上杉氏、再度、蒲生氏に支配されることとなった。



新発田城(新潟県新発田市)37.955586,139.32529

菖蒲城

新発田氏

溝口氏

廃城令により破却
復元天守閣(2004年)木造
新発田城(しばたじょう)は、現在の新潟県新発田市にある城郭。別名、菖蒲城(あやめじょう)。新潟県内では唯一、江戸時代当時の城郭建築が現在も残る城跡である。足軽長屋、表門と二の丸隅櫓は国の重要文化財に指定されている。



掛川城(静岡県掛川市)34.775417,138.01473

懸河城、雲霧城、松尾城

朝比奈泰煕

朝比奈氏、山内氏、太田氏他

1854年嘉永東海地震で倒壊
復元天守閣(1994年)木造
掛川城(かけがわじょう)は、遠江国佐野郡掛川(現在の静岡県掛川市掛川)にあった城。平山城である。戦国時代には遠江国東部の中心拠点としてしばしば争奪戦の舞台となった。現代残る城郭の構造の基本的な部分は安土桃山時代に同地に入封した山内一豊によるものである。
1994年(平成6年)に天守が再建されたが、これは戦後初の木造によるものであった。



名古屋城(愛知県名古屋市)35.185492,136.89909

金鯱城、金城

徳川家康

尾張徳川氏

1945年の空襲で火災で消失
復元天守閣(1957年)コンクリート
名古屋城(なごやじょう)は、尾張国愛知郡名古屋にあった城郭。城址は、現在の愛知県名古屋市中区・北区の名城公園。
伊勢音頭にも「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ」と歌われ、大坂城、熊本城とともに日本三名城に並び称される名城である。天守に取り付けられた金の鯱(金鯱(きんこ))は、城だけでなく名古屋の町の象徴にもなっている。城地は織田信長誕生の城とされる今川氏・織田氏の那古野城(なごやじょう)の故地で、この城はのちの名古屋城二の丸の位置にあったとされる。



和歌山城(和歌山県和歌山市)34.227658,135.17168

虎伏城、竹垣城

豊臣秀長

豊臣氏、浅野氏、徳川氏

1945年和歌山大空襲により焼失
復元天守閣(1958年)コンクリート
和歌山城(わかやまじょう)は日本の城。所在地は和歌山県和歌山市一番丁。徳川御三家の一つ紀州藩紀州徳川家の居城であり、8代将軍徳川吉宗・14代将軍徳川家茂を輩出した。国指定史跡。かつては国宝の白亜天守が現在世界遺産の姫路城についで国宝に指定されていたが、戦災で焼失。和歌山城は見る角度によって趣が変化するなど面白みのある城である。



岡山城(岡山県岡山市)34.665199,133.93609

鳥城、金鳥城

上神高直

宇喜多氏、池田氏

1945年岡山大空襲で焼失
復元天守閣(1964年?1966年)コンクリート
城郭の形式は梯郭式平山城。岡山平野のほぼ中心に位置し旭川を天然の堀として利用している。
岡山城の天守は黒漆の板張りで烏城と呼ばれ、隣県の白鷺城と呼ばれる姫路城と対比される。また、この天守は4重6階の複合形式で安土城の天守を模したものともいわれている。
明治時代に御殿・櫓・門の大半を取り壊した。更に第二次大戦中、空襲のため天守・石山門を焼失した。現在は櫓、石垣、内堀が残り、再建した天守・不明門・廊下門・六十一雁木上門・塀の一部が存する。現存する月見櫓・西の丸西手櫓は国の重要文化財に指定され、「岡山城跡」として史跡にも指定されている。その他、京橋御門が岡山市小串に移築され現存する。



広島城(広島県広島市)34.402839,132.45896

鯉城

毛利輝元

毛利氏、浅野氏

1945年 原子爆弾によって全焼
復元天守閣(1958年)コンクリート
軟弱な三角州地盤に築城したため、石垣の重量を分散させる工夫がなされている。
福島正則が無届け修築をとがめられた際、二段にしてあった本丸の上段石垣を破却した。これは現在でも確認できる。
広島市西区己斐の地名は延喜式で嘉字地名とされる前は「鯉」であったと言われ、ここから鯉城の別名がついた。一説には堀にたくさんの鯉がいたからとも、天守が黒いからとも言われる。


写真は艮櫓(重要文化財)

高松城(香川県高松市)34.350419,134.05161

玉藻城

生駒親正

生駒氏、松平氏

1884年老朽化のため破却
復元天守閣2010年の着工を目指している
天守は現存せず、重要文化財には月見櫓、艮(うしとら)櫓、水手(みずのて)御門、渡櫓が指定されており、毎週日曜日、月見櫓と渡櫓の中が一般公開されている。また、城内にある桜の馬場は桜の名所として知られ、春になると多くの花見客が訪れ、地元テレビ局などが取材に来る姿が見られる。
高松城の別名は玉藻城であるが、これは万葉集で柿本人麻呂が讃岐国の枕詞に「玉藻よし」詠んだことに因み、高松城周辺の海域が玉藻の浦と呼ばれていたことに由来するとされている。



大洲城(愛媛県大洲市)33.509539,132.54113

比志城、地蔵ヶ嶽城、大津城

宇都宮豊房

宇都宮氏、藤堂氏、脇坂氏
加藤氏

老朽化と構造上の欠陥の為1888年に解体
復元天守閣(2004年)木造
江戸時代初期、藤堂高虎らによって大規模に修築がなされ、近世城郭としての体裁を整えた。伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していた。
また、明治維新後から現在にいたる地元住民の城郭への保護活動と、平成16年(2004年)に寄付によって完成した往時を出来る限り忠実に復元した4重4階の天守も特筆すべき点である。江戸時代から残る台所櫓・南隅櫓など4棟の櫓が国の重要文化財、城跡一帯が県指定史跡に指定されている。



熊本城(熊本県熊本市)32.805998,130.70598

銀杏城

出田秀信

加藤氏、細川氏

西南戦争時原因不明の出火で天守
復元天守閣(1960年)コンクリート
室町時代に原型である隈本城(くまもとじょう)が築かれる。
現在の熊本城は豊臣政権下で肥後入りした加藤清正の築城と言われている。
反りが特徴的な「武者返し」と呼ばれる石垣を持ち、難攻不落を誇る。大坂城、名古屋城と並んで、日本三名城に数えられる。
明治維新後は熊本鎮台がおかれた。このため西南戦争では政府軍の重要拠点であると同時に西郷軍の重要攻略目標となる。田原坂の戦いを含む激しい攻防が行われたが、熊本城は谷干城指揮の下よく攻撃に耐え、ついに撃退に成功した。なお、この戦いでは武者返しが大いに役立ち、熊本城を甘く見ていた西郷軍は、誰一人として城内に侵入することができなかったという。