復興天守閣のある城(100名城) -日本の城(地図)

日本の城の地図(緯度経度)を掲載しています。

日本の城の地図(緯度経度)を掲載しています。


 

【新品】NDS山川出版社監修詳説日本史B 総合トレーニング
 
受験生に必読書とされている山川出版社の日本史、世界史の最新教科書をまるごとDSに収録。
 

復興天守のある城


小田原城(神奈川県小田原市)35.251047,139.15344

小峯城(小峰城)、小早川城(小早川館)

大森頼春

後北条氏、阿部氏、稲葉氏
大久保氏
廃城令により解体
復興天守閣(1960年)コンクリート
後北条氏は、居館を現在の天守の周辺に置き、後背にあたる八幡山を詰め城としていた。大森氏も、そうであったと推測されている。第3代北条氏康の時代には、上杉謙信、武田信玄の攻撃を退け、戦国時代屈指の堅城ぶりを誇った。後北条氏の時代に、小田原城は、八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9kmの土塁と空堀で取り囲んだ惣構え(これは後の豊臣氏大坂城の惣構えよりも広大である)をもつ、それまで類を見ない大規模な城郭へと拡張された。
慶長19年(1614年)、徳川家康は自ら数万の軍勢を率いて、小田原城惣構えを破壊させている。地方の城郭にこのような大規模な惣構えがあることを警戒していたという説もある。


岐阜城(岐阜県岐阜市)35.434072,136.78221

稲葉山城

二階堂行政

斎藤氏、織田氏
不明
復興天守閣(1956年)コンクリート
岐阜城(ぎふじょう)は、美濃国の井之口(現在の岐阜県岐阜市)に建てられた城。織田信長が居城とする以前は、稲葉山城と呼ばれていたともいわれているが、信長以前の斎藤氏が居城としていた時代の同時代史料には「井口城」「金華山城」として登場する。信長は尾張国(愛知県)出身だが、尾張より岐阜を好んでいたといわれる。


岡崎城(愛知県岡崎市)34.956308,137.15881

龍城

西郷稠頼三河国守護仁木氏の守護代

松平氏、田中氏、本多氏、水野氏
廃城令により解体
復興天守閣(1959年)コンクリート
享徳元年(1452年)に、三河国守護仁木氏の守護代西郷頼嗣が築城。新岡崎城築城後は、廃城。
菅生川(乙川のこと。北岸にある菅生神社の前にあることから)南岸の明大寺にあった。
新岡崎城(竜城、現在の城地)
西郷信貞(松平昌安)から奪い取った松平清康によって、三河国守護仁木氏の守護代西郷氏築城の龍頭山の砦(旧岡崎城の前線基地)が改修拡張整備され、こちらを岡崎城と呼び替えた。これが現在地の岡崎城となる。
岡崎城と呼び替えるまでは、旧岡崎城(明大寺城)と区別するために、竜城と呼ばれていた。


伊賀上野城(三重県伊賀市)34.770142,136.12714

白鳳城、上野城

筒井定次

藤堂家
廃城令により解体
復興天守閣(1935年)木造
上野城(うえのじょう)は、三重県伊賀市上野丸之内にあった城。白鳳城、伊賀上野城とも呼ばれる。藤堂高虎の整備による高石垣によって名高い。現在の3層3階の天守は昭和初期の模擬創建で正式には伊賀文化産業城という。旧城域一帯が国の史跡に指定されている。武庫と永倉が現存している。


大坂城(大阪府大阪市)34.687378,135.52584

大阪城、金城、錦城

豊臣秀吉

豊臣氏、奥平氏、徳川氏
大坂夏の陣で落城焼失
1665年に落雷によって天守を焼失
復興天守閣(1931年)コンクリート
大坂城(大阪城、古くはおおざかじょう・一般にはおおさかじょうと読む)は、摂津国東成郡大坂の地にあった安土桃山時代から江戸時代の城である。別称は金城あるいは錦城で、大坂が近代に大阪と表記するように改まったために、現在は大阪城と書くことも多い。豊臣政権の本城であったが、大坂夏の陣で焼失し豊臣氏が滅亡した後再建され徳川幕府の西日本支配の拠点となった。
城址は現在の大阪市中央区の大阪城公園。名古屋城、熊本城と共に日本三名城の一つ。


福山城(広島県福山市)34.491033,133.36115

久松城、葦陽城

水野勝成

水野氏、松平氏、阿部氏
1945年福山大空襲により焼失
復興天守閣(1966年)コンクリート
輪郭式平山城。江戸時代は備後福山藩の藩庁であり藩主の居城であった。かつては二重の堀や瀬戸内海へ抜ける入江(入川)があったが現在は全て埋め立てられている。石垣は本丸・二の丸の一部と三の丸のほとんどが取り払われるか埋められている。二の丸南側に隣接してJR福山駅があり新幹線や福塩線のホームよりすぐ近くに城が望める。
現存する建造物として伏見櫓、筋鉄御門(共に国の重要文化財)、鐘櫓(鐘楼部が福山市指定重要文化財)がある。第二次世界大戦前に国宝であった天守と御湯殿は、昭和20年(1945年)8月8日、米軍の空襲(福山大空襲)により焼失した。現在の天守は昭和41年(1966年)に月見櫓、御湯殿と同時に再建されたものである。天守内部は福山市立「福山城博物館」となっていて天守最上階の回縁からは市街を360度見渡せ晴れた日には瀬戸内海を望むこともできる。


岩国城(山口県岩国市)34.174966,132.1737

横山城

吉川広家

吉川氏
1615年幕府の一国一城令により廃城
復興天守閣(1962年)コンクリート
岩国城は山上の城である「横山城」と、麓の居館である「土居」から成る。江戸時代初期は岩国藩の居城となり、廃城後は土居が陣屋として存続した。城下と城を隔てる錦川には錦帯橋が架けられ、特徴的な景観を作り出している。城下町はこの錦帯橋の道筋を基準に整然と整備された。


島原城(長崎県島原市)32.789215,130.36727
森岳城、高来城 松倉重政

松倉氏、松平(深溝)氏
廃城令により破却
復興天守閣(1964年)コンクリート
有明海に臨み、雲仙岳の麓に位置する。城郭の形式はほぼ長方形の連郭式平城。高く頑丈な石垣が特徴である。本丸は周囲を水堀で囲まれており、二の丸と廊下橋形式の木橋一本で繋がれている。橋を壊せば本丸を独立させることが出来るが、逆に袋の鼠状態になり、しかも廊下橋は、防備上矢玉が当たりにくくなるので、縄張りの欠陥とも言える。同じ事例に、高松城の天守郭(本丸)がある。また、天守は破風を持たない独立式層塔型5層5階で最上階の廻縁高欄を後に戸板で囲ったため「唐造り」のようになっていた。
江戸時代は島原藩の政庁であり藩主の居所であった。成立当時の島原藩は4万石であったが、石高に比べると極めて立派な城である。
1876年(明治9年)に天守・御殿以下建造物は悉く破脚された。現在は本丸に天守・櫓・長塀が復興され、城跡公園となっている。